『宦官の復讐』

 こうして本格化したレガシーワールドの次走は、関東へ遠征してのセントライト記念(Gll)に決まった。レガシーワールドにとって、重賞初挑戦である。

 セントライト記念菊花賞トライアルだが、それと同時にセン馬にも門戸が開かれている珍しいレースである。ただ、牡馬がこのレースで上位3着に入れば菊花賞(Gl)への優先出走権が与えられるが、セン馬で菊花賞への出走権がないレガシーワールドにとっては、この栄典は意味がないという違いはあった。

 当時のレガシーワールドは条件戦を3勝しただけであり、クラスとしては準オープンクラスだった。自己条件を使えば確実に賞金を稼げるのに、そして菊花賞への参戦資格があるわけでもないのに、レガシーワールドはあえて関東に遠征し、セントライト記念へと向かった。このローテーションには、どのような意味があったのだろうか。

 これについては、戸山師のある「意思」の賜物だった。この年のクラシック戦線は、戸山師が鍛え上げた最高傑作ミホノブルボンの独り舞台であり、既に春は不敗のまま皐月賞、ダービーを制して二冠馬となっていた。そんな時代の中で、競馬界の注目は、果たしてミホノブルボンによる不敗の三冠達成がなるのか、その一点に注がれていた。競馬マスコミの取材はミホノブルボンただ1頭に集中し、菊花賞の構図はあたかも「ミホノブルボン対その他」といった様相が強かった。

 しかし、戸山師の見方は違っていた。彼は、競馬マスコミはあまり注目していなかった、関東の「ある馬」を恐れていた。それが、ダービーではミホノブルボンから遅れること5馬身、ようやく2着に入ったライスシャワーだった。

 世間の多くは、ライスシャワーのダービー2着を「フロック」とみなした。だが、戸山師はミホノブルボンよりはるかに小さな黒鹿毛の馬体、血統、そして走りの中に、ミホノブルボンを超える長距離適性、成長力を見ていた。

菊花賞で怖いのはライスシャワーだ」

ダービー後、親しい人にそう漏らしたという戸山師は、ここにライスシャワーが出走してくることから、ミホノブルボンとの実力差を測るために、レガシーワールドを送り込んだのである。

 そんな「密命」を受けていたレガシーワールドは、指示があったのかどうかは不明だが、好スタートを切って逃げる形となった。もっとも、ミホノブルボンの逃げのような、鮮やかな単騎逃げではない。むしろ、馬群の固まりの先頭、といった方がいいかもしれない。しかし、他の馬たちはやがてレガシーワールドライスシャワーについていくことができなくなり、レースは直線では、レガシーワールドライスシャワーとの一騎打ちになった。

 懸命に逃げ込みを図ったレガシーワールドに対し、ライスシャワーは外から襲いかかった。一度はライスシャワーに差されたかに見えたレガシーワールドだったが、そこからレガシーワールドは、不屈の精神力でもう一度差し返してきた。結局、レガシーワールドはアタマ差だけライスシャワーを抑えて重賞初制覇を飾ったのである。

 しかし、セントライト記念で3着以内に入れば貰える菊花賞への優先出走権は、前述のようにセン馬であるレガシーワールドには全く無関係だった。セントライト記念の出走馬たちの多くはこの菊花賞へのプラチナチケットを望んでいたはずだが、レガシーワールドは、それを破り捨てるためだけに押さえたようなものだった。「イヤな奴」ではあるが、これはまさに菊から閉め出されたセン馬の復讐だった。

 もっとも、戸山師たちは、レガシーワールドの戦いを通してみたライスシャワーの姿に対し、大きな脅威を感じずにはいられなかった。夏を越して大きく成長したライバルの現在に加えて、これから本番までの2ヶ月での成長力、そして未知の3000mという距離。その危惧は、ライスシャワーミホノブルボンに迫った京都新聞杯でさらに大きくなり、やがて菊花賞では現実のものとなった。それは、ライスシャワーによるミホノブルボンの三冠阻止という、最もドラスティック形でやってきたのだった。