『執念〜メジロ30年の悲願〜』

 このことについて、「メジロ牧場は馬を長い間活躍させるため、早い時期から無理に仕上げることをしない。だから、ダービーには間に合わないのだ」という説明がされることがある。なるほど、メジロ牧場の創設者である北野豊吉氏は「ダービーよりも天皇賞がほしい」という言葉が有名であり、メジロ牧場の伝統は「天皇賞を勝てる馬づくり」である。また、オーナーブリーダーの特性として長期間に渡って一線級で活躍する馬を育てることが牧場経営に直結するということからも、この理由づけは納得できそうにも思われる。しかし、皐月賞についてならともかく、ダービーについてはこれだけでは説明しきれない何かがある。先に書いたとおり、メジロ軍団はダービーにはそれまで何度も有力馬を送り込み、3度にわたって2着までは食い込んでいるのである。それなのに勝てないというのは、巡り合わせの悪さとしかいいようがなかった。

 冷静になって考えれば、ダービーがほしくないホースマンなどいようはずがない。むしろ、最新の流行を追うよりはむしろ伝統、というより競馬の原点に忠実であろうとするメジロ牧場なればこそ、ホースマンとしてダービーへのあこがれがないはずはないのである。そもそも「ダービーよりも天皇賞がほしい」と言った北野氏自身、メジロ牧場を開いたきっかけは、メジロオーが「日本競馬史上最も小さなハナ差」と言われた僅差で2着に敗退した際に、悔しがった北野氏が

「おれの生産馬でダービーを勝って見返してやる」

と叫んだことにある。そういうことも踏まえた上で先の言葉を見ると、ダービーに勝ちたくてたまらないのに勝てなかった北野氏が、悔しさのあまり言ったものととれなくもない。

 「ダービーは、最も運のいい馬が勝つ」と言われる。これは、日本馬産界の誇りともいうべきメジロ牧場の、一種の運のなさを象徴しているようでもある。

 そのような背景のもとで、メジロ牧場としては、メジロライアンに夢を託さざるを得なかったし、またメジロライアン自身、その夢を託するに値する馬だった。