『悲劇の父』

 スズパレードの父ソルティンゴは、社台ファームの総帥・吉田善哉氏の所有馬として伊仏で走り、15戦5勝、イタリア大賞(伊Gl)、ミラノ大賞(伊Gl)を勝ち、伊ダービー(伊Gl)2着という2400mの大レースで実績を残した。それらの実績を買われたソルティンゴは、種牡馬として日本へ輸入されることになった。日本での「種牡馬ソルティンゴ」に期待をかけていた人々は、彼にその後どのような運命が待ち受けているのか、知る由もなかった。

 輸入初年度の種付けシーズンを無事に終えたある日のこと、ソルティンゴはいつものようにパドックに放牧される・・・はずだった。ところが、担当厩務員のミスによって、ソルティンゴは彼の本来のパドックではなく、バウンティアスのパドックに放牧されてしまった。

 怒ったのは、バウンティアスである。彼にしてみれば、自分の縄張りを闖入者に荒らされた形となる。悪いことに、バウンティアスは当時の種牡馬の中でも名だたる激しい気性を持っており、怒り狂ってソルティンゴに襲いかかってきた。

 ソルティンゴは、怒りに燃えたバウンティアスに蹴飛ばされ、大けがを負ってしまった。しかも、怪我の箇所が悪く、種牡馬の命というべき受精能力をも失ってしまったのである。ソルティンゴの担当厩務員は、自らの失態に責任を感じたのか、事故の数日後に割腹して果てている。

 期待の種牡馬の将来だけでなく、担当厩務員の生命まで奪った悲劇に、社台ファームは悲しみに沈んだ。ソルティンゴについては、万に一つ回復するかも知れない、という淡い期待のもとに種牡馬登録を抹消せず、懸命の治療を続けたが、その熱意は実を結ぶことのないまま、スズパレードがデビューした1983年に死亡した。ソルティンゴは、わずかにスズパレードを含む1世代しか産駒を残すことができなかったのである。