『老兵は死なず―』

 しかし、スズパレードは不死鳥の如くターフへ還ってきた。8歳いっぱい走った後で引退、というプランのもとで、復帰のために全力が尽くされた。スズパレードも、レースが近付くと、まるでそのことが分かっているかのように、飼い葉を食べるのを控えて自ら実戦に耐える身体を作っていった。

 スズパレードの復帰戦となったオールカマー(Glll)の時、宝塚記念歓喜からはもう15ヶ月が過ぎ去っていた。スズパレード自身も、8歳の秋を迎えていた。

 競馬評論家を初めとするプロたちは、スズパレードの長すぎるブランクを不安視し、あまり高い評価をしてくれなかった。だが、一般のファンは、還ってきた歴戦の勇者のことを忘れておらず、スズパレードはこの日、天皇賞・春(Gl)2着馬・ランニングフリーや往年の二冠牝馬マックスビューティ等を抑え、堂々の1番人気に推された。調教技術の進歩によって、長期休養明けがかつてほどのマイナス材料にならなくなりつつあったとはいえ、よほど馬自身の実力が認められていなければ、この人気は勝ち取れない。

 そして、スズパレードは人気だけではなく、このレースで本当に勝ってしまった。しかも、この時の勝ち時計はコースレコードというおまけ付きである。奇しくもこの時の勝ち時計と2着との着差は、宝塚記念とまったく同じ2分12秒3、2馬身差というものだった。この時体調を崩して入院していた富田師は、病院のベッドの上から手塩にかけたスズパレードの復活劇をテレビで目にし、感動のあまり熱い涙を流した。

 だが、8歳という高齢、そして15ヶ月のブランクをものともせずに鮮やかな重賞8勝目を挙げたスズパレードにも、現役生活の終わりが確実に近づいていた。その頃、競馬界は、皇帝以来の新しい最強馬を得つつあった。「笠松から来た怪物」ことオグリキャップの影は、ひたひたとスズパレードの背後に迫りつつあった。