『皇帝世代』

 サラブレッドの強弱を語る時に欠かせない要素のひとつとして、そのサラブレッドが属する世代の強弱が挙げられる。日本の競馬体系は、まず世代限定戦から出発し、異世代との対決はクラシック戦線で同世代との決着をつけた後になる。そのため、同世代での対決では強く見えた馬でも上の世代との対決で馬脚を現したり、逆に同世代の中では二流とされていた馬が上の世代に混じって意外な健闘を見せてファンを驚かせることも、決してまれではない。強豪が揃った「強い世代」の中で埋没していた馬、逆に幸運に恵まれて「弱い世代」の中で栄冠を勝ち得た馬・・・様々なサラブレッドによる果てしなき戦いの過程の中で、ファンは、そして歴史は真に「名馬」と呼ばれるべき存在を選別していく。

 そうした過程をことごとく勝ち抜き、「日本競馬史上最強の名馬」との名誉をほしいままにしているのが、1984年に無敗のままクラシック三冠を制し、翌85年にかけてGl通算7勝を記録した「絶対皇帝」シンボリルドルフである。彼は、同世代との決着を「無敗の三冠達成」という形でつけたにとどまらず、その後も歴史上有数の「強い世代」とされる1歳上のミスターシービー世代の名馬たち、そして1歳下の世代を代表する二冠馬ミホシンザンなど、当時の日本競馬における一流馬をことごとく撃破し、中長距離戦線を制圧した。競走馬の体調、騎手の騎乗、天候、馬場状態、展開・・・流動するあらゆる不確定要素の中で勝ち続け、自らの絶対的な能力を結果によって証明したシンボリルドルフは、今なお多くのファンから信仰に近い畏敬を捧げられる名馬とされている。

 だが、その半面で、シンボリルドルフと同じ世代に生まれたサラブレッドたちは、シンボリルドルフとは違って厳しい評価に甘んじてきた。1981年に生まれた彼らの世代は「シンボリルドルフ世代」と呼ばれており、また他には呼ばれようがない。シンボリルドルフに負け続け、さらに上の世代、下の世代との対決においても常に苦渋をなめさせられ続けた彼らは、「弱い世代」という汚名を受ける羽目になっている。

 なるほど、シンボリルドルフを除く「シンボリルドルフ世代」の顔ぶれは、前後の世代と比べてかなり見劣りするといわなければならない。ビゼンニシキニシノライデンスズマッハ・・・。世代の一流馬といわれた彼らも、しょせんはGl未勝利である。ミスターシービーカツラギエース、ニホンピロウィナー、ギャロップダイナといった強豪が並ぶ「ミスターシービー世代」はいうに及ばず、ミホシンザンサクラユタカオータカラスチールが世代混合Glを勝っている「ミホシンザン世代」にも劣るといわなければならない。というよりも、「シンボリルドルフを除くシンボリルドルフ世代」に劣る世代を探す方が困難といった方がいいかもしれない。

 だが、同世代の馬たちがシンボリルドルフ、そして異世代の強豪たちに敗れ、次々とターフから消えていく中で、数々の敗北にあってもなお夢を諦めず、走り戦い続けた馬がいた。そんな彼がGlの大輪の花を咲かせた時、彼を苦しめ続けたシンボリルドルフはとうにターフを去り、彼自身も既に7歳(現表記6歳)になっており、彼の勝利がシンボリルドルフを除いた彼らの世代唯一の世代混合Gl制覇となった。

 皇帝のいない夏にようやく遅咲きの才を開花させた彼は、その後も戦い続けることに生きる意義を見出したかのように現役を続け、ターフを沸かせたのである。

 シンボリルドルフと同じ年に生まれ、同じクラシックを戦い、低い評価に泣きながらもついにはGlを手にしたその馬とは、1987年の宝塚記念スズパレードである。