『黄金兄弟』

 日本の馬産界には「一腹一頭」という格言がある。それは、どんな期待の繁殖牝馬であったとしても、その生涯で本当に走る産駒は1頭送り出せれば十分成功といえるのだから、それ以上を求めてはいけない、ということを意味している。

 種牡馬の場合だと、近年の人気種牡馬は1年で100頭以上、生涯では2000頭以上の産駒を残すことも不可能ではない。しかし、繁殖牝馬の場合はそうはいかない。どんなに頑張ったとしても、1年に1頭しか子を生むことができない以上、生涯で残すことができる産駒も、せいぜい十数頭に過ぎない。1頭の牝馬から名馬が生まれる確率が本来天文学的確率であることからすれば、「一腹一頭」という言葉の説くところは、至極もっともであるといえるだろう。

 「一腹一頭」の正しさを裏付けるように、毎年何十頭もデビューする「Gl馬の弟や妹」たちの中から兄や姉を超える名馬が現れることは、滅多にない。それでもごくまれにGlの兄弟制覇を果たす馬が現れることもないではないが、「名馬」の必須条件ともいえる「Gl2勝以上」を両方が記録している兄弟となると、その数はさらに限定されてしまう。

 戦後の日本競馬史の兄弟たちを振り返った場合、最も輝かしい戦績を挙げたといえるのは、パシフィカスを母とするビワハヤヒデナリタブライアンの兄弟だろう。Glを兄が3勝、弟が5勝し、ともに年度代表馬にも選出された彼らが同じ母から生まれたということは、トップクラスの馬たちの実力が近接している現代競馬においては奇跡にも等しいことであり、パシフィカスの偉大さは、競馬ファンの誰しもが認めるところであるに違いない。

 しかし、比較的近年に、やはり兄弟ともGlを複数勝っているにも関わらず、その栄光が早くも忘れられがちとなっている兄弟もいる。彼らも兄弟合わせてGl6勝を挙げており、その勝ち鞍もいわゆる「八大競走」かそれに準ずるレースばかりである。そのような、競馬史に特筆すべき実績を残していることは明らかなのに、彼らの評価はパシフィカスの息子たちに比べると十分なされているとはいいがたい。これは、なんとも寂しいことである。

 ここでいう「彼ら」とは、日本を代表するオーナーブリーダーのひとつであるメジロ牧場が送り出し、メジロオーロラを母とするメジロデュレンメジロマックイーン兄弟のことである。彼らは、いずれも2400m以上の長距離でその実力を最大限に発揮したステイヤーだった点で共通している。しかし、弟が「天皇賞親子三代制覇」という金看板を背負って誰からも「名馬」と認められているのに比べると、兄の扱いは現役時、そして引退後ともぱっとしない扱いを受けている。確かに祖父、父とも芦毛天皇賞馬であり、自らの天皇賞制覇によって父子三代天皇賞制覇という奇跡を成し遂げた弟と違い、地味な輸入種牡馬を父としていた兄に、弟のような物語はなかった。また、2つのGl勝ちはいずれも人気薄の時であり、しかもレース中に有力馬のアクシデントがあったため、印象が薄くなりがちという不幸な面もあった。しかし、そうした要素はメジロデュレンにはあずかり知らぬことである。また、そもそも実力がない馬ならば、Glを2つも勝てるはずがない。

 生涯を通じて堅実な成績を収め、どんなレースでもそれなりに走った優等生の弟とは違い、兄は調子の悪い時にはまったく勝ち負けにもならず、大崩れすることも珍しくなかったた、「気分次第の一発屋」というイメージがつきまとったことは事実である。しかし、兄が勝ったレース・・・菊花賞有馬記念優勝という実績を並べれば、弟を切り離したとしても十分「一流」の賞賛を受けるに値するものである。こと長距離で能力を最大限に発揮した時に限れば、メジロデュレンの強さは、決してメジロマックイーンに引けを取るものではなかった。さらに、メジロデュレンが名門メジロ牧場に初めて牡馬クラシックをもたらした馬である、という事実も忘れてはならない。私たちは、メジロデュレンという馬について、もっと正当に評価する必要があるのではないだろうか。