『優駿余話』

 メリーナイス日本ダービーを制覇して世代の頂点に立ち、映画の主人公にもなった。ちなみに、映画「優駿」には、根本騎手らも特別出演することになった。

 もっとも、メリーナイスによるダービー制覇のシーンを映画のクライマックスで使うプランは、残念ながらご破算になってしまった。編集会議で

「勝つのはマティリアルに違いない、マティリアルを集中的に追え!」

と決めていたため、当日設置されていたすべてのカメラは、最後の最後までマティリアルばかりを追いかけていたのである。おかげで、メリーナイスが勝った後になって、ようやく肝心のメリーナイスの映像を誰も撮影していなかったことに気づいた、というからお粗末な話である。

 4番人気の馬が勝ったにもかかわらずこのような事態を招いたことは、制作者サイドがまったく競馬というものを理解していなかったことの証左といわなければならない。もしこのシーンが使用されていれば、この映画のクライマックスは圧巻のものとなったはずである。実に勿体ないことをした、と言わなければならない。

 しかし、いくら悔やんだところで、時計の針は戻らない。「今年のダービー勝ち馬がオラシオンになります!」と大々的な宣伝を打っていた以上、もはや引くに引けない状況となっていた。メリーナイスが勝ってしまったからには、彼を「オラシオン」にしないわけにはいかない。だが、この予想外の事態は、製作会社を大いに困らせた。

 まず、メリーナイスと同じ栗毛の四白流星という都合のいい子馬など、なかなか見つかるものではない。その点、鹿毛で流星もないマティリアルに似た子馬は、どういう訳か手配が済んでいたという。結局まったく同じ毛色の子馬は見付からなかったため、四白の栗毛の子馬を探してきて、額の流星は化粧で済ませることになった。

 さらに、「撮りなおし」となったダービーのレースシーンの撮影は、至難を極めた。現実のダービーのシーンが使えなくなった以上、クライマックスのレースシーンは撮り直すよりほかにない。だが、馬たちを何度走らせても、都合よく「オラシオン」が先頭でゴールしてくれない。これには困った。

 わざと「オラシオン」を勝たせようとすると、映像がまったく迫力のないものになってしまう。結局馬たちを何度も全力で走らせた上で、うまく「オラシオン」が勝つシーンを撮影できるまでの間、何度も撮り直さざるを得なかった。

 ・・・ところが、この時撮影用にかり出されたサラブレッドたちは、現役の競走馬を引退した馬たちが中心だった。そのため、過酷な「レース」の繰り返しによって故障する馬たちが続出した。映画「優駿」は、このような多くの犠牲のもとに制作されたのである。

 公開された映画「優駿」は、そんなチグハグもあり、競馬ファンには概して不評だったと言わなければならない。もっとも、この映画を観て競馬に興味を持ったというファンがいるならば、馬事文化的な意義をまったく否定するほどのこともないだろう。