『深謀遠慮』

 悪コンディションの中でゲートが開いた第37回農林水産省賞典安田記念の先手を取ったのは、大方の予想どおりニッポーテイオーだった。ニッポーテイオーは、もともと卓越したスピードで先行し、そのまま最後まで押し切ってしまうという競馬を得意としていた。ニッポーテイオーについて「逃げ馬」という印象が薄いのは、作戦としての先手というよりは、絶対的なスピードの差によって先頭に立つというイメージが強いからかもしれない。

 そんなライバルに対して、フレッシュボイスは最後方からの競馬となった。後方からの追い込みに賭けるというのはフレッシュボイスにとってもいつもどおりといえるが、ただ後方に置かれたのがスタートで立ち遅れた結果であるという点はニッポーテイオーとはまったく異なっていた。

 実際には、この時「出遅れ」に見えたのは、すべてフレッシュボイスに騎乗する柴田騎手の作戦によるものだった。柴田騎手は、この日1枠1番を引いていたフレッシュボイスが他の馬たちに包まれることを警戒し、スタートを意図的に遅らせて後方から馬群の中に閉じ込められないように謀ったのである。

 しかし、戦況を見守るファンは、柴田騎手の深謀遠慮など、この時点では知る由もない。

「もうあかん! 」
「やっぱりテン乗りじゃあダメだったんだ」

 スタンドからそんなうめきがあがったのも、やむを得ないことだった。