『謎の後退』

 ところが、ゴールドシチーは一生に一度の晴れ舞台で、謎の走りをしてしまった。ゴールドシチーはスタートこそ心配された出遅れもなく、うまく中団につけることに成功した。しばらくすると無理なく、しかし確実に、前との差を詰めていく気配さえ見せていた。しかし、第2コーナーを過ぎた向こう正面になって、それまで気持ちよくじりじりと前進していたはずのゴールドシチーは、突然減速してしまった。

 ゴールドシチーは、第3コーナーあたりではもう後ろを数えたほうが早い位置まで後退していた。それまでの流れのよいレース運びが、この後退によってまったくの無駄になってしまったのである。

 直線に入って後方から一気に伸びたゴールドシチーは、ちぐはぐなレースをしたにもかかわらず、4着に突っ込んできた。一度後方まで下がりながら4着まで突っ込んできた馬の能力はさすがだったが、それだけに惜しまれたのは、謎の後退だった。もし後退する前の位置どりから、同じ末脚を繰り出していたとすれば・・・?この年のダービーは、メリーナイスが6馬身差の圧勝を遂げたレースとして記憶に残るものとなったが、ゴールドシチーがこんなヘンな走りをしなければ、四白流星の3歳王者2頭による壮絶な叩きあいが展開され、史実とはまったく異なる形で記憶に残るレースになっていたかもしれない。

 しかし、ゴールドシチーは負けた。ダービーで謎の敗北を喫したとなると、関係者の関心は、どうしても犯人探しに集中せざるを得ない。この時の謎の後退は、マティリアルの末脚を恐れて勝負どころで意図的に馬を下げた、本田騎手による騎乗ミスだとされた。本田騎手は、この時馬は、彼の指示を無視して馬が突然自分で走るのをやめたのだという。彼の言によれば、

「馬が急に走る気をなくして、押しても叩いても、何の反応も示してくれなくなった」

とのことである。本田騎手が阪神3歳Sの頃からひそかに心配していた、レース中に気を抜く悪いくせは、その後しばらく収まっていたにもかかわらず、よりにもよってダービー当日に再発したのである。

 しかし、ダービーの敗因が「馬がヘンな奴でした」ではとおらない。皐月賞のときと違って馬の体調は万全であり、さらにちぐはぐな走りをしながら4着という一応の結果は残してしまった以上、「もしあれがなければ」という声は強かった。結局誰かが責任をとらなければ収まりのつかない状況の中で、本田騎手の抗弁が聞き入れられることはなかった。彼はダービーを最後にゴールドシチーから下ろされてしまい、鞍上に復帰したのは1年以上後になった。本田騎手が鞍上に復帰する時期には、ゴールドシチーは5歳秋を迎えており、もう全盛期は過ぎていた。