『不撓不屈』

 こうして悲願のGl制覇を果たしたメジロライアンだったが、幸福な時間はそう長くは続かなかった。3歳の時からずっと一線級で走り続けたメジロライアンは、その脚部にも疲労が蓄積していたのか、ついに故障を発症してしまったのである。その故障とは、競走馬の不治の病といわれる屈腱炎だった。

 屈腱炎は、通常生命に別状はないものの、競走能力には直接悪影響を与える上、いったん治ったとしても、ちょっとした衝撃や疲労ですぐに再発し、完治は不可能であるとされている。これまで多くの名馬たちの競走生命を奪い、その悪質さゆえに「悪魔の病」とまでいわれる屈腱炎が、メジロライアンの脚を襲ったのである。

 半年ほどの休養の末、症状が安定したことからようやくターフへと帰ってきたメジロライアンだったが、Gl馬は「帰ってきた」だけで讃えられるべき存在ではない。「勝つ」ことが求められるのである。しかし、復帰後の彼のレースは、全盛期の彼を知る人々から見れば寂しい限りのものだった。

 復帰戦の有馬記念(Gl)では、道中こそ宿敵メジロマックイーンと馬体を併せるというシーンでファンを沸かせたものの、結局それ以上の見せ場は作れず12着に敗れた。休養明けで相手も強かった有馬記念は仕方がないとしても、続くAJC杯(Gll)では、格下ばかりの相手の中で1番人気に支持されながら、またも見せ場なく6着に敗退してしまった。このときばかりは「もうあの強いライアンは見られないのか」とため息をついたファンも多かった。

 そんな思いは、奥平師も同じ、いや、馬と直接接するだけにより強かった。メジロライアンはその巨体ゆえに、強く追い切ることで初めて馬体が仕上がり、実力を発揮できる馬だった。ところが、屈腱炎を発症した後は再発が怖くて強く追うことができなかった。その結果が復帰後2戦、不完全燃焼のままの敗退だった。

 奥平師はそんなメジロライアンの姿に誰よりも歯ぎしりをしていた。これほどの馬にレースで無様な姿をさらさせるぐらいなら、引退させた方がましである。日経賞(Gll)では、屈腱炎の再発覚悟で馬を一杯に追い切った。

「強いライアン、甦れ」

そんな気持ちだった。

 幸い、全力で追い切られたメジロライアンだったが、後で脚を入念にチェックしても、屈腱炎が再発した兆候は出ていなかった。また、久々に一杯に追い切ったことで、馬にはかつての闘志が甦りつつあった。「いける! 」 奥平師は日経賞に、自信を持ってメジロライアンを送り込むことができた。