『勝てば官軍、負ければ・・・』

 菊花賞馬となったメジロデュレンは、その後早々に有馬記念(Gl)を回避し、翌年の日経新春杯(Gll)へと向かうことになった。菊花賞馬でありながら有馬記念に進まなかったのは、三冠牝馬メジロラモーヌが出走予定だったためといわれている。

「初めての牝馬クラシック馬と、初めての牡馬クラシック馬の潰しあいは見たくない・・・」

 そんなメジロ牧場の人々の思いが、同門の直接対決を避けさせる結果となった。

 しかし、その後のメジロデュレンを待っていたのは、苦難の道のりだった。日経新春杯が3着と可もなく不可もない結果に終わった後、メジロデュレンは骨折が発覚し、長期休養を余儀なくされた。距離適性の上からも、そして牧場の信念からも、大目標となるはずだった天皇賞・春(Gl)には、出走することさえできなくなってしまったのである。

 秋になって復帰したメジロデュレンは、復帰戦のカシオペアS(OP)では見せ場もないまま5着に敗退した。続く鳴尾記念(Gll)でも、2番人気に支持してくれたファンを無残に裏切る10着・・・。惨敗だった。

「デュレンは終わった」

 そんなささやきが、競馬界にみるみる広がっていった。