『宴のあと』
大部分のファンたちの絶叫と悲鳴をよそに、逃げたレジェンドテイオーをゴール前で捕らえたのは、外から突っ込んできたメジロデュレンだった。同じ青い帽子の4歳馬・ユーワジェームスも、内を突いて追いすがってくる。こちらも菊花賞3着の実績はあったものの、重賞勝ちはマイル戦のニュージーランドトロフィー4歳S(Gll)だけということで軽視されており、7番人気の人気薄に過ぎなかった。
しかし、メジロデュレンはユーワジェームスの追撃を半馬身抑え、波乱のグランプリを制した。菊花賞以来、13ヶ月ぶりの勝利だった。
この日の馬券を見ると、約251億円売れた馬券のうち162億円が、1番人気と3番人気が競走を中止したことで紙屑となった。その上に本命サイドがことごとく沈んだ意外な決着となり、配当は軒並み跳ね上がった。単勝は10番人気の2410円。枠連はゾロ目の4−4だったこともあり、有馬記念史上最高額配当となる16300円となった。勝利騎手となった村本騎手も
「勝てるとは思わなかった」
と驚いた、無欲の勝利だった。
この年のグランプリは、人々には「メジロデュレンが勝ったレース」としてではなく、「サクラスターオーが散ったレース」として語り継がれることになった。サクラスターオーの故障は、本来なら即座に予後不良となるべき悲惨なものだったが、
「何とか生かしてやりたい」
という関係者の想いによって、闘病生活が始まった。・・・しかし、その想いも空しく、サクラスターオーは、翌年の桜が散る季節に、逝った。東騎手は
「手応えは絶好だった。事故さえなければ勝っていた」
と語って突然逝ってしまった愛馬への思いに唇を噛み、ファンもまた、半年ぶり、ぶっつけで菊花賞を制した二冠馬の非運に涙を流した。メジロデュレンの勝利の栄光は、そんな涙の暗い影によって覆われることになってしまったのである。・・・彼の2度目のGl勝利も、人々から正当に評価されることはなかった。