『世代の「雄」として』

 4歳のレガシーワールドが出走したジャパンC(国際Gl)は、その年から国際Glに認定されていた。このレースに勝つことは、取りも直さず世界に認められることになる。日本競馬の新しい時代の到来である。ここで、レガシーワールドは、10番人気ながらもトウカイテイオーの4着に健闘し、実力を示した。

 続く有馬記念(Gl)では、先行して好位につけ、例によって逃げを打ったメジロパーマーを激しく追い上げたものの、わずかにハナ差及ばず2着に敗れた。敗れたとは言っても、もちろん4歳馬最先着である。この年の有馬記念は、二冠馬ミホノブルボンこそ不在だったものの、菊花賞ライスシャワーは8着、マル外の大物ヒシマサルは9着、悲劇の頑張り屋サンエイサンキュー競走中止という成績を見れば、レガシーワールドの実力が同世代でもトップクラスであることは明らかだった。

 レガシーワールドの1992年(平成4年)の競走生活はこうして幕を閉じた。そして迎えるべき1993年(平成5年)だが、レガシーワールドの競走生活は前年にも増して波乱に満ちたものになってゆく。―波乱の幕開けは「別離」とともに始まった。