『夢の終わり』

 さて、レガシーワールドには6歳時にアメリカ遠征のプランも持ち上がった。確かに天皇賞・春に出られない以上、レガシーワールドが目標とすべきレースは宝塚記念(Gl)まではない。ジャパンCを勝って国際Gl馬となった以上、レガシーワールドは色々と差別の多い国内を捨てて世界へと旅立つべきではないか? 戸山師の残したものを受け継いだ森師は、単なる戸山師の縮小再生産に留まることなく、海外遠征という新たなる夢を描き始めていた。「レガシーワールド」の「レガシー」は、冠名であるのみならず、「遺産」という意味があるという。ジャパンCで見事に戸山師の「レガシー」=遺産を花開かせた森師にとって、次の目標は自らの成果として「ワールド」=世界へと旅立つことだった。

 しかし、その夢は果たされないままに終わった。その後、レガシーワールド屈腱炎を発症したのである。20ヶ月の休養の後、何とか復帰は果たしたものの、もはや、Gl馬の栄光には程遠い走りしか出来なくなっていた。

 種牡馬になれないセン馬の宿命で、レガシーワールドはそれでも走り続けた。重賞でもないオープン特別、川崎記念ダイオライト記念といった地方交流レース…。 しかし、結局復帰以後は、13戦走って掲示板に載ったのは一度だけ(大阪城OP4着)に終わり、ついに現役引退が発表された。ようやくレガシーワールドの戦いも終わりを告げたのである。