『勝者の屈辱』

 しかし、この裁定は、第104回天皇賞に関わった人々の多く・・・特にメジロマックイーン陣営の人々と、プレクラスニー陣営の人々の運命を大きく変えるものだった。

 18着降着の裁定が、敗者とされた若き天才と王者に深い屈辱を与えたことは、間違いないことだろう。しかし、この裁定が彼らの犯した進路妨害の結果であることからすれば、彼らにとってそれは受け入れなければならない罪と罰である。この裁定がもたらした真の悲劇とは、敗者とされた側ではなく、勝者とされた側にこそあった。

 「天皇賞馬・プレクラスニー」を迎えるスタンドの雰囲気は、例年のそれとは明らかに異なるものだった。そこに古馬の頂点に立った者への賞賛と尊敬はなく、あるのは目の前で起こった現実に対する当惑と、当事者たちへの同情だった。

 当時19歳だった江田照男騎手は、この日、最年少天皇賞制覇の栄誉を手に入れたことになる。しかし、若くして名誉を手に入れたはずの勝者の顔に晴れやかさはまったくなかった。彼の表情から読み取れるものもまた、いかんともしがたいばつの悪さと戸惑いのみである。プレクラスニーメジロマックイーンに完全に力負けしていたことは、彼が一番よく知っていた。ここに立つのは、本来自分であるはずがない。それなのに・・・。

 つらい思いをしたのは、江田騎手だけではない。プレクラスニーの生産者である嶋田克昭氏も、レース後こんな感想を漏らしている。

「正直言って、表彰台に立っているのが辛かった・・・」

 嶋田氏は、周囲の人々から「ルールに則って勝ったのだから」と慰められ、祝勝会を開くことを勧められた。しかし、嶋田氏本人は、そんな誘いに決して首を縦に振ることはなかったという。