『滅ぶもの、生きるもの』

 種付け希望がなくなり、種牡馬生活を続けることができなくなったプレクラスニーは、1998年初冬、JRAに引き取られて余生を過ごすことになった。JRAによる余生の保障は、旧八大競走勝ち馬のみに認められた特権であり、彼には着順も成績も問われない第三の馬生が待っているはずだった。しかし・・・新しい環境に移って1ヶ月も経たないうちに、彼は着順も成績もまったく問われない世界へと旅立ってしまった。環境の急激な変化に耐えられなかったのだろうか、それとも競争の機会すら与えられることなく競争世界から追い出されたことへの抗議だったのだろうか。

 プレクラスニーの父クリスタルパレスも、プレクラスニーの他には中央競馬の重賞勝ち馬を出すことができないまま、1995年に死亡した。クリスタルパレスは、自らは仏ダービーを勝ち、凱旋門賞でも3着に入ったほどの馬であり、種牡馬としても、日本に輸入される前にはフランスで多くの活躍馬を出し、1985年の仏リーディングサイアーに輝く能力を秘めていた。だが、日本での産駒成績を見ると、プレクラスニーは前記のとおりで、期待されていたプレクラスニーの全弟プレストールも1戦しただけで引退するなど、他の活躍馬は特に出すことができなかった。クリスタルパレスをブルードメアサイヤーとする馬からは、後に2002年の日本ダービータニノギムレットが現れたものの、後継種牡馬プレクラスニーしかおらず、そのプレクラスニーが死亡したことによって、その父系は断絶した。

 近年、日本競馬界の情勢は急激に変化しつつある。日本の最強馬が海外に遠征し、有望な子馬は海外のバイヤーによって買われていき、種牡馬の交流も一方的な入超ではなくなりつつある。しかし、近い将来たとえ「名馬の墓場」などといった汚名が返上されたとしても、いったん消滅した血統が再び蘇ることはなく、クリスタルパレスの直系も、既に失われてしまった。

 確かに、競馬の世界では血統の栄枯盛衰はつきものであり、栄える血統もあれば、滅びゆく血統が出てくることもやむを得ないのかもしれない。だが、それを当然のことと冷たく突き放すだけでは、あまりにも悲しく、あまりにもむなしい。名馬の血が残らないのならば、せめて記憶に留めておくことが、私たちの責務ではないだろうか。フランスからやってきた名馬の仔に、天皇賞を勝った馬がいたこと。そして、その馬は運命に翻弄されるうちに、ひっそりと短い生涯を閉じたこと・・・。

 幸い、プレクラスニーの弟妹、産駒たちは、彼に魅せられたあるファンに引き取られ、平和に暮らしている。プレクラスニー産駒の唯一の中央競馬で勝ち馬となった牝馬であり、繁殖入りが期待されながら果たせなかったタンドレスもまた、そのファンのもとで過ごしている。かつて府中のターフを愛し、そして府中で不敗のまま逝った芦毛天皇賞馬の血統は、今はもう競走馬、サラブレッドとしてではなく、単なる馬として日本のどこかに生きており、今なお日本の競馬を見守っている―。[完]

記:1998年7月29日 第2版:1999年2月10日 第2版補訂:2000年6月22日 第2版2訂:2003年2月9日
文:「ぺ天使」「ぴんしゃん」@MilkyHorse.com
初出:http://www.retsuden.com/