プレクラスニー列伝改訂版あとがき 〜「プレクラスニー列伝」誕生秘話

 どういうわけか連載1周年を迎えようとしている『素晴らしきサラブレッドたち』。しかし、その執筆の鹿毛… もとい、陰では様々な秘話があるものです。これは、私ぺ天使が、記念すべき第1話「―勝者の屈辱―プレクラスニー列伝」を執筆するに至るまでの裏話です。

 ある日、管理人のぴんしゃん氏から私のところに電話がかかってきました。

「やあ、○○かね。君に頼みたいことがあるんだが。」
「ほう、それは僕に有り金すべてを寄付したいという頼みかね。それとも煎じて飲むために僕の爪の垢をほしいというのかね。」
「ふざけるな。君に一頭のサラブレッドの生涯を書いてもらいたいのだ。」

 どうやら、彼は自分のサイトの新企画としてGⅠ馬の生涯を文章化するという案を考え出したようなのです。私も文章を書くことはきらいではありません。

「別に構わないが。もちろん書く馬は僕が決めていいんだろ? 」ところが、彼から返ってきた答えは驚くべきものでした。「いや、プレクラスニーを頼む。ルドルフだのブライアンだのは放っといても誰かがやる。だから、うちは放っとくと誰も書かないような馬をやるんだ。」

 記念すべき第1回はやはり名馬の中の名馬と誰もが認める馬だろう、と思っていた私に、「プレクラスニー」というのは予想もしない返答でした。

「冗談じゃない。どこで資料を集めたらいいんだ。」
「君は資料収集能力を自ら誇っていたじゃないか。威張るぐらいなら何とかしたまえ。」 「僕は錬金術師じゃない。無から有を作り出せるか。」
「何を言うか。貴様は不遇のまま消えた悲運の天皇賞馬を愚弄するのか! 」
「知ったことか!! 」

 結局、私はその日の依頼を拒否して、安らかな眠りに就きました。ところが、夜、一人暮らしのはずなのに、なぜか眠っていた私の顔を、何かがとんとんと叩いてきます。

「もしもし…。もしもし…。」

 私が目を覚ますと、なぜかそこには哀れな目をした白い馬が、鼻で私の顔を突っついているのです。よく見ると、目に涙をたたえています。「もしもし、あなたは誰ですか? 」寝ぼけて尋ねた私に対し、彼は答えました。

「僕はプレクラスニーといいます…。」

 *

 驚く私に、彼は恨めしそうにこう語りかけてきました。

「どうして僕の列伝を書いてくれないのですか。」

 思いもつかない展開に、私は目を白黒させるばかりです。

「いや、どうしてって…大変だし。」
「そんなこと言わないで、お願いします。僕は、天皇賞馬なのに、生きてるときからずっとみんなに馬鹿にされ続けてきました。あの世でも、先輩天皇賞馬の皆さんが『お前なんか天皇賞馬の面汚しだ』と言って僕をいじめるんです。かばってくれるのはシンザンさんぐらいで、辛くて、悲しくて…。だから、せめて、あなたに僕の生涯を語ってもらって、この世のファンの皆さんぐらいには僕のことを知って、それから実力を認めてほしいんです。」

 私は驚きました。プレクラスニーは半年ほど前に亡くなったと聞いていました。JRAの施設に引き取られて数日後だったため、ぴんしゃん氏が「JRAに謀殺された」と騒いでいた事をはっきり覚えています。

 では、彼はわたしのところへわざわざ化けて出てきたのでしょうか。何を言えばいいのか分からない私に対し、彼はさらに衝撃的な事実を明かしてくれました。

 *

 …何を言えばいいのか分からない私に対し、彼はさらに衝撃的な事実を明かしてくれました。

「僕は、半年前に謎の骨折で安楽死したってことになっているみたいですけど、あれは違うんです。本当は、僕は自殺したんです。」

 驚愕の事実が本人…もとい、本馬の口から明かされました。

「僕は天皇賞馬なのに未勝利の女の子たちにも振られ続けて…。挙げ句の果てには、『種牡馬失格』の烙印でしょう。周りもみんな僕のことを馬鹿にしてばかりだし、生きていくのが嫌になったんです。」
「そ…そんな気の毒な。」

 もてない男の哀しみは、私にはよく分かりませんが、きっと辛いものなのでしょう。私は、心から彼に同情しました。

「でも、あの世に来てみても、何もいいことはありませんでした。もうこの世にも戻って来れないし…。だから、せめて、あなたに僕の生涯を書いてほしいんです。」

 そう言い残して、プレクラスニーは消えてしまいました。気が付くと、夜はもう明けていて、小鳥たちがさえずっていました。

 *

 …私はぴんしゃん氏ではなく、プレクラスニーの頼みを聞いてあげることにしました。さしあたり、手元にある資料は数冊。しかも、プレクラスニーについての記述は、全部合わせて2頁ぐらいにしかなりません。これだけでは列伝執筆はおぼつきませんでした。

 ところが、この後プレクラスニーの導きでしょうか、学校の図書館でたまたま『優駿』バックナンバーを発見したり、古本屋で当時の馬の資料を発掘したり、といった数々の僥倖に導かれ、プレクラスニー列伝は無事完成しました。

 ただ、プレクラスニー列伝の上程に対しては、意外な妨害者が出現しました。管理人のはずのぴんしゃん氏です。彼は、私がプレクラスニーの啓示を受けて書いた列伝に、何と勝手に手を加えているのです。前半部分の出生のあたりはほぼ私が書いた通りなのですが、最後の方はかなり彼が勝手に修正しています。

 例えば、『きさらぎ賞の前日に』って、「なぜきさらぎ賞なんだろう」と不思議に思いませんでしたか。プレクラスニーは4歳春は一介の条件馬で、きさらぎ賞とは縁もゆかりもないのです。これは、ぴんしゃん氏がたまたまきさらぎ賞の前日に東京競馬場へ行っており、そこでプレクラスニーの訃報を知ったから、という私的な理由に過ぎません。

 私は「プレクラスニーという公的な存在の真実を伝える列伝に、そんな普遍性を持たない表現を加えるのはやめろ」と主張しましたが、プレクラスニーを愛しながらも夢に見たことはないという彼は、プレクラスニーに夢枕に立たれた私に嫉妬したのか、「いやだ」と不合理にも無断修正を元に戻すことはありませんでした。

 私はこれからも彼の言論弾圧と戦いながら列伝を執筆することになるのでしょうが、まあよろしくお願いします。

 ちなみにプレクラスニーは、列伝がアップされた数日後に再び僕のところに現れました。「勝手に内容を変えられてしまってごめんね」と私が謝ると、彼は「いいんです。あなたが列伝を書いてくれたことだけで充分です。先輩たちもあれを読んで『お前にもああいうふうに見てくれる人がいたのか』と言って、あまり僕をいじめなくなりました。本当にありがとうございます。」と私の顔を一回大きくぺろりとなめて、そのまま帰っていきました。

 ―その後、私は彼と会ってはいません。

 記:1999年6月12日、1999年6月15日、1999年6月21日、1999年6月23日
 文:「ぺ天使」@MilkyHorse.com