『勝負の刻』

 レースは大欅の向こう側、ハクタイセイとそれに連れられて上がってきた後続が一気にアイネスフウジンとの差を詰めてきたことで、いよいよ佳境に達した。しかし、普通の逃げ馬ならば直線に備えてペースを落とすはずのこの地点で、アイネスフウジンはなんともう一度加速しにかかった。彼について上がっていった馬たちは、予想外の展開に脚を無駄に使わされていく。そんな中で、乱戦の張本人の足並みとペースにまったく乱れは見られない。府中の熱狂は、いよいよ頂点に達した。

 一度はアイネスフウジンを捕まえに行ったハクタイセイと武騎手だったが、この日は完全にアイネスフウジンと中野騎手の術中にはまっていた。もともと距離不安がささやかれていたこの馬には、アイネスフウジンが完璧に支配したこのレースの中では、もはやここまで追走しただけで精一杯だった。直線に入ってアイネスフウジンに並びかけようとするハクタイセイだが、脚色が悪い。坂のあたりで力尽きたか、今度はアイネスフウジンに逆に突き放されていく。

 その一方で、ようやくメジロライアンと横山騎手は、動いた。直線に賭けるこの馬にとっては、第4コーナーでの位置どりが運命を決する。22頭の多頭数でいかに不利を受けない位置から直線に入るのか、が戦前の最大の焦点とされていた。しかし、横山騎手はカーブを利用して馬を外へ持ち出し、待望の直線へとなだれ込んでいった。横山騎手の鞭がうなる。もはや、前を行った馬たちに脚がないことは分かっていた。後ろ? 完全に自分のレースをできた「僕の馬」を差せる馬などいるはずがない。横山騎手の目に映った敵は、もはやただ1頭だった。