『計算された配合』

 サニーブライアンの牝系を遡ると、4代前に、桜花賞馬ツキカワの名を見出すことができる。この牝系が村下ファームにやってきたのは、ツキカワの孫サニーロマンの代のことで、その後、この牝系は村下ファームの基礎牝系となっていた。サニースイフト自身も、競走馬として26戦4勝の戦績を残し、準オープンまで出世している。

 ただ、サニースイフトオークス(Gl)に出走した際は、ブービーに敗れている。サニースイフトの勝ち鞍は、すべて1400mまでの短距離に偏っていた。距離適性からいうならば、彼女は完全な短距離馬といえた。

 しかし、村下氏は、サニースイフト繁殖牝馬としての可能性に、大きな期待を抱いていた。村下氏にとって、サニースイフトこそは、それまで思い描いてきた「繁殖牝馬の理想の体型」だった。村下氏は、サニースイフトの馬主となった宮崎守保氏に対して、

「走ろうが走るまいが、この馬は絶対牧場に戻してください」

と頼んだうえで、彼女を競馬場へと送り出したという。そして、競走生活を終えたサニースイフトは、デビュー前の約束どおり、村下ファームへと帰ってきた。

 サニースイフトが牧場に帰ってくるのを心待ちにしていた村下氏は、帰って来た彼女の初めての種付け相手を、一生懸命考えた。村下氏は、親交があった戸山為夫調教師が

繁殖牝馬は、初子を出すときに一番その能力を伝える」

と言っていたことを思い出し、まだ見ぬサニースイフトの初子のために奮発し、期待の種牡馬とされていたブライアンズタイムをつけることにした。

 少しでも血統に興味のある競馬ファンならば、ブライアンズタイムの名前を聞いたことがないという人はいないだろう。ブライアンズタイムは、米国でGlを2勝した実績を買われて日本に輸入されたが、その産駒がデビューするや初年度から三冠馬ナリタブライアンオークスチョウカイキャロルを送り出し、その後もマヤノトップガンシルクジャスティスなど多くの強豪を次々と送り出し、今や日本を代表する大種牡馬となっている。

 ブライアンズタイムサニースイフトに種付けをした年は、ちょうどブライアンズタイムの初年度産駒がデビューする直前にあたる供用4年目にあたっていた。当然のことながら、ブライアンズタイム種牡馬としての能力は、まだ明らかになっていない。供用開始後4年目の種牡馬は、仮に直後にデビューする初年度産駒の成績が振るわなければ、生まれてくる産駒の値段が急落するというリスクがあるため、人気が落ちるのが普通である。ブライアンズタイムもまたその例に漏れず、この時期は人気を落としていた。

 しかし、ブライアンズタイムの小柄で均整のとれた馬体に目をつけた村下氏は、サニースイフトと配合すればどんなにいい馬が生まれるだろう、と思い、ブライアンズタイムを配合相手に選んだ。競走成績から短距離馬といわれていたサニースイフトだったが、村下氏は、サニースイフトが短距離戦でしか勝てなかったのは気性的な問題であり、血統、馬体的に中長距離でも大丈夫なはずだとにらんでいた。芝の中長距離で活躍し、気性も穏やかなブライアンズタイムを配合すれば、生まれてくる子供は、きっと中長距離で活躍できる、と信じていた。

 こうして誕生した仔馬は、体つきがしっかりしたとても良い馬だった。この仔馬が一番優れていたのは、柔らかな体と首をうまく使った走り方だったという。村下氏は、ひそかにこの仔馬にこれまでにない感触を得ていた。

「こいつは大仕事をしてくれるかもしれない」

 それは、村下氏がサニーブライアンから感じた「予感」だった。