1999-12-01から1ヶ月間の記事一覧

『超新星、現る』

メジロライアンは4歳緒戦のジュニアC(OP)も中団から差し切って、いよいよクラシック候補として認知度を広めていった。このレースも、先行していた2頭が抜け出していったん決まったかと思った残り100m地点から、ためにためた豪脚を一気に爆発させて突き抜け…

『ノリとライアン』

もっとも、メジロライアンはその大柄な馬体ゆえに、その仕上がりは決して早い方ではなかった。調教は順調に進み、当初の予想よりも早く7月の函館開催でデビューすることができたものの、新馬戦を2戦走って2着、6着と勝てないまま、ソエを起こして放牧に出さ…

『名門の御曹司』

その年のメジロ牧場では、一番の期待馬はリアルシャダイとシェリルとの間に生まれた牡馬(後のメジロルイス)だといわれていた。しかし、この馬は原因不明の故障で腰を痛めてしまったため、その後は馬体の素晴らしさで群を抜き、さらに重賞馬の半弟という血…

『オーナーブリーダーの選択』

しかし、そんなアンバーシャダイに目をつけた生産者がいた。それが、日本が誇るオーナーブリーダーのメジロ牧場である。 メジロ牧場の特色は、生産した馬を馬主に売った代金を主な収入源とするマーケットブリーダーとは異なり、自ら生産した競走馬を自らが馬…

『琥珀色の機関車』

しかし、そんなアンバーシャダイが変わってきたのは、5歳になってからだった。次第に力をつけてきたアンバーシャダイは、派手な連勝こそないものの、条件戦を少しずつ勝ち上がり、秋にはオープン馬へと出世した。初めての大レースとして、当時は東京3200mで…

『系譜の始まり』

また、父のアンバーシャダイについては、日本の馬産界で一時代を築いた名種牡馬ノーザンテーストの初年度産駒にして代表産駒の1頭である。ノーザンテーストの子も多くが種牡馬入りしたが、アンバーシャダイはその中でも最大の成功を収めたといってよいだろう…

『名牝の血』

メジロライアンは、その冠名が示すように日本を代表するオーナーブリーダーであるメジロ牧場の生産馬であり、血統は父がアンバーシャダイ、母がメジロチェイサーというものである。 母のメジロチェイサーは、現役時代の実績は26戦3勝と凡庸の域を出ない。し…

『内国産種牡馬の雄』

日本における馬産界においてあまりにも古くから言い古されている問題点として、自前の直系種牡馬を育てられない、ということがある。 確かに日本の馬産界での舶来志向は根強いものがある。現在も毎年のように海外で実績を残した種牡馬が輸入されて人気を集め…

■第023話―想いを走る力に変えて「メジロライアン列伝」

1987年4月11日生。牡。鹿毛。メジロ牧場(伊達)産。 父アンバーシャダイ、母メジロチェイサー(母父メジロサンマン)。奥平真治厩舎(美浦)。 通算成績は、19戦7勝(旧3-6歳時)。主な勝ち鞍は、宝塚記念(Gl)、日経賞(Gll)、京都新聞杯(Gll)、弥生賞…

『栄光は遥かな時の彼方へ』

ハッピープログレスは、短距離戦線が整備されたばかりの黎明期に登場し、ニホンピロウィナーというより強力な個性の前に輝きをかき消される形となったために、現役時代の栄光は高く評価されることがなかった。彼の最大の栄光だった「短距離三冠」も、時代と…

『競馬場の片隅に死す』

いつしか種付け希望がほとんどなくなったハッピープログレスは、種牡馬としては完全に失敗に終わってしまった。そんなハッピープログレスは、やがて軽種馬協会の功労馬の養老施設となっている栃木県の日本軽種馬協会那須種馬場に移され、そこで事実上の隠居…

『南国の地で』

ハッピープログレスはニホンピロウィナーとの最後の戦いに敗れ去った。2頭の対戦成績はハッピープログレスの1勝5敗となった。ハッピープログレスの1勝というのは、ニホンピロウィナーが本格化していなかった83年の阪急杯でのことであることを考えると、この2…

『老雄の誇り』

スタートでは失敗したものの、その後は折り合いもついたニホンピロウィナーは、好位に控える競馬で、勝負の時機をうかがっていた。そんな彼らは、いつもならまだ最後方にいるはずのハッピープログレスが、第4コーナー付近で自分たちを凄い脚で抜いていったこ…

『勝負に潜む毒』

だが、この日のハッピープログレスに最も大きな影響を与えたのは、ニホンピロウィナーまで、わずかながらもスタートで後手を踏んだことだった。スタートの良さが売りものだったニホンピロウィナーにとって、この出遅れはある意味でハッピープログレスよりも…

『無風に挑む』

ニホンピロウィナーの強さばかりが目立ったスワンS(Gll)を受け、第1回マイルCS(Gl)は「ニホンピロウィナーのためのレース」というのがもっぱらの評判となった。マイルCSには16頭が出走してきたものの、ニホンピロウィナーに恐れをなしたのか、関東からわざわ…

『死を誘う独走』

しかし、実際には、このレースではニホンピロウィナーの強さ、そして恐ろしさだけがいかんなくクローズアップされる結果となった。好スタートを切った2番人気のロングヒエンからすぐに先頭を奪ったニホンピロウィナーがレースを引っ張ると、他の馬たちもハイ…

『王座を賭けて』

ハッピープログレスが「短距離三冠」で暴れまわっている間は骨折による不本意な休養を強いられたニホンピロウィナーだったが、その後の回復は順調だった。前年の最優秀短距離馬として、「短距離三冠馬」にいつまでも大きな顔をさせておくことはできない。ニ…

『新しい季節』

こうして「短距離三冠」を見事達成したハッピープログレスだが、さすがにこれらのレースでの激走がこたえたのか、安田記念の後熱発するというアクシデントもあった。一部では、短距離界の栄華を極めたハッピープログレスは、安田記念を最後に引退するのでは…

『偉業は成れり』

そんな実力派たちの揃ったレースで、先行争いも当然のように激しいものとなった。レースのペースも速くなつていったが、ハッピープログレスは、あくまでもスプリンターズS、京王杯SCと同じく後方待機の競馬を選んだ。まるで王者に展開など関係ない、そういわ…

『立ちはだかるもの』

出走を決断した以上、無様なレースはさせられない。山本師らは、ハッピープログレスの状態を安田記念までにもう一度ピークに持っていくべく、持てる知能と技能のすべてを振り絞った。全身全霊を傾けた関係者の努力により、ハッピープログレスは安田記念まで…

『大いなる不安』

もっとも、ハッピープログレス陣営が安田記念での「短距離三冠」制覇に向けて、磐石の自信を持っていたわけではなかった。それどころか、彼らの胸のうちは、むしろ不安の方でいっぱいだった。 まず、それまでの戦績からみて、ハッピープログレスに1マイルは…

『老雄、驀進す』

中山競馬場・芝1200m、スプリンターズS(Glll)。短距離三冠の第一弾とされるこのレースは、1990年からはGlに格付けされてスプリント王決定戦にふさわしい扱いを受けるようになったが、短距離戦線の整備が途についたばかりでスプリント戦とマイル戦の区分まで…

『短距離三冠への道』

1984年、ハッピープログレスは7歳を迎えた。普通の馬ならば、そろそろ衰えを意識しなければならない年齢である。ハッピープログレスの戦績は相変わらず安定しないままで、この年の初戦・淀短距離ステークスでは(OP)前年のCBC賞に続くニホンピロウィナーの2着…

『新しい舞台』

こうして明確な目的意識を持って短距離戦線を歩み始めたハッピープログレスは、その後安定して好成績を残す・・・というほどではないにしても、まずは順調な競走生活を送った。ようやく本格化しかけたところで脚部不安を発症して休養を強いられたハッピープ…

『雌伏の時』

しかし、せっかくクラシックを諦めてまで目標を短距離戦線に切り替えたハッピープログレスだったが、最初はなかなか結果が出なかった。4歳時は6戦走って3着が2回、あとは全部掲示板にも載れない惨敗だった。4歳時は1勝もできなかったハッピープログレスに対…

『距離の壁』

山本厩舎に入厩したハッピープログレスは、将来性豊かな素質馬として、周囲の期待を集めた。デビュー戦こそ1番人気を裏切る5着に敗退したハッピープログレスだったが、その後は期待折り返しの新馬戦、400万下、そして中京3歳Sと3連勝を飾った。3歳戦を4戦3勝…

『師』

丈夫な馬を作りたい、という狙いをこめて配合されたハッピープログレスだったが、生まれた当初の彼は、馬格があまり立派ではなかった。そのため村上牧場の人々は、この馬が本当に競走馬になれるのか、ということから心配しなければならなかった。 しかし、幼…

『ルーツ』

ハッピープログレスが生まれたのは、北海道・三石の村上牧場である。村上牧場は、牧場自体の歴史は明治時代まで遡るものの、サラプレッドの生産を始めたのは1970年に入ってからだったという。 村上牧場がサラブレッドの生産を始めたきっかけは、それまで馬産…

『短距離三冠馬』

日本競馬の今と昔を比べた場合、最もはっきりと目につく変化といえば、短距離戦線の位置づけの変化である。かつては中長距離で通用しなかった馬たちの敗者復活戦、あるいは二軍ともいうべき位置づけしかされてこなかった短距離戦線だが、近年では「短距離の…

■第022話―時代に消えた三冠の季節「ハッピープログレス列伝」

1978年4月15日生。牡。2000年4月8日死亡。栗毛。村上牧場(三石)産。 父フリートウィング、母シングルワン(母父ヴィエナ)。山本正司厩舎(栗東)。 通算成績は、27戦11勝(旧3-7歳時)。主な勝ち鞍は、1984年安田記念(Gl)、1984年京王杯SC(Gll)、1984…